ご挨拶

社主メッセージ

 平素は、当店をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。
 当店はLPガス、灯油の販売、並びに浴室や台所、トイレ等水廻りの工事を通して、 お客様の快適住生活をサポートしております。
 LPガスも灯油も水道も私たちの住生活になくてはならないものです。それらを「安全」で そして「便利」にお使いいただけますよう、社業に励みます。
 どんな小さな事でも当店にお気軽にご相談下さいますよう、よろしくお願いいたします。

店主 敬白

有限会社 前田商店は

社員一同

会社名 有限会社 前田商店
所在地 〒012-0813 秋田県湯沢市前森一丁目2番17号
電話番号 0183-73-6174
FAX番号 0183-72-0856
代表者
設立年月日
代表取締役 前田 貞一
創業昭和元年 法人設立 昭和33年 6月 6日
業務内容 LPガス/灯油/家電/冷暖房設備工事/住宅設備機器/上下水道工事/浄化槽工事/浅井戸工事/内装工事 増築、減築工事/ブロック塀、フェンス工事/消雪、融雪工事/タイル、コンクリート補修/建設資材/左官材料

社歴

昭和
元年 湯沢市前森17番地にて 創業者 前田貞助が前田雪屋として雪販売を始める
2年 前田貞助商店として燃料販売業を始める
4年 山形県舟形村の浅野同族株式会社木友鉱業所の亜炭を販売
22年 秋田市の西村商店(後の山二商会)の特約店として住友の石炭を販売
建設業(土木工事)知事登録 前貞組を始める
33年6月6日 有限会社前田商店として法人化する
34年7月 液化石油ガスの販売許可を取得し、LPガスの販売を始める
43年  花巻市の㈱佐々陶タイル商会のタイル浴槽、後にヤマハのFRP浴槽等住宅機器の販売をする
46年 ㈱長府製作所の特約店として風呂釜、ボイラー等の販売をする
48年 山二建設資材㈱等から仕入れタイル、壁材、セメント、ブロック等の販売をする
51年 前田貞一が代表取締役に就任
59年12月 伊奈製陶㈱の特約店となる
60年4月2日 有限会社前田商店を湯沢市前森1丁目2番17号に移転する
60年12月 ㈱INAXの特約店となる
平成
7年7月 湯沢市下水道排水設備指定工事店として認可される
8年4月2日 ㈲前田商店事務所を新築する
12年3月 湯沢市指定給水装置工事事業者として認可される
16年3月 湯沢市元清水3丁目に灯油地下タンク(30kℓ)を設置し灯油センターを開設する
 関連会社
昭和36年7月 ヤマ二石油株式会社を創立し出光興産湯沢給油所、並びに昭和61年10月千石町給油所を開設
昭和43年5月 株式会社カガ三を創立し小野田セメント販売店となり、セメント、生コン等の建設資材の販売を行う

 

保有資格 ・第二種販売主任者
・液化石油ガス設備士
・高圧ガス販売主任者
・乙種危険物取扱者
・丙種危険物取扱者
・給水装置工事主任技術者
・給水装置工事配管技能検定
・二級管工事施工管理技士
・二級配管技工
・浄化槽設備士
・排水設備責任技術者
・浴槽設備士
・第二種電気工事士
・石油機器技術管理士
許可 ・通商産業省 2-5-1421号 石油製品販売業者
・財団法人日本石油燃焼機器保守協会 第306331号 石油機器技術管理士登録
・指令秋収鉱第54号 プロパン販売営業許可店 ・第05A8004号 液化石油ガス販売事業者
・社団法人 秋田県浄化槽協会会員
・(登-27)第72号 浄化槽工事業者登録
・指定第29号 湯沢市指定下水道排水設備工事店
・指定第40号 羽後町排水設備指定工事店
・産業廃棄物収集運搬業許可

(当社の原点 “雪や” について)

毎年寒すぎになると雪囲い作業が始まる。近隣の農家の人が弁当持参でやって来た。毎日20人以上。
雪小屋は、御嶽山(みたけさん)と神明社の2ヶ所で早出し用としてそれぞれ小さい山を2ヶ所位い築く。
周囲の山々から橇(そり)で雪を集め、人の足で踏み固めて約15mの高さの山を築いて、その上に雪の溶けるのを防止するため 土を30cm位い掛け、其の上に藁で編んだ戸羽を張り丸太を組み屋根を造り戸羽を総体に張り完了。
春5月頃から雪の切り出しが始まる。
当時はリヤカーに7個位い積み、市内の魚屋、旅館、料亭、病院、一般家庭の冷蔵庫用として販売した。
重さ60kg、1ヶ60銭。
創業は明治末期、村上長吉による。(前田家より養子縁組)
大正13年、長吉病死により兄息子の前田貞助がその後を継ぐ。
戦後製氷技術の進歩により、又冷蔵庫の電化等雪の需要減少によって昭和45年“雪や”役目を終える。

当時の“雪小屋”の風景
  


〈前田貞助 思い出の記より〉

 大正15年は昭和元年と変わり、その年より御嶽山の下と新明山の処へ雪囲いをして、春5月頃より、荷車を求めて 雪販売に掛りました。
 これも相当、難儀な仕事でありました。

 満州事変が始まってきて、労働者がだんだんと不足になって、雪配達も困難になりました。確か昭和18年頃と思いますが、雪囲いを止めることを決意してお得意先様へ葉書で廃業の通知を出しました処、湯沢町長より「雪も氷もなくては、もし病人が 出た時は困るから、町の方からも援助するから」という事で、また始めました。
 その時は人夫はおらず、学校の六年生か、高等一年生と思いますが、雪運びを手伝ってもらったものでした。